39歳 10年会社にいて今思うこと

このブログを読んでいる人など殆どいないと思うが、たまに重い腰を上げて書こうと思うタイミングが来る。
しかし最近は頻度がかなり少なくなり、すごく感覚があいている。昔はもう少し沢山書いていたのだなと思う。

重い腰を上げる理由は、書くのが大変だからに他ならない。しかしそれでもなぜ書くのか?自分で深く考えてみた。
一つ理由が思い浮かんだ。それは、大きな辛い事や苦しい事や悲しい事があったときだ。

そういうことがあっても、中々人に相談できることでもないので、
深く闇に落ちて、人との距離を置くようになり、人を信じる事を辞め、冷めた冷徹な人間になるのを防ぐために
客観的に、冷静に文章にして書いてみて、何とか自分の中で消化している作業をしているように思った。

中々人に相談できる事でもない、と書いたのは、結局僕は「その人の事は、その人自身しか分からない」と思っているからだろう。
そして、仕事の悩みや苦しみも、それぞれの立場で、その仕事を、実際に、苦労苦悶しながら頑張った人にしか、分かるものではない、と思っている。

つまり、会社では「経営」という仕事をしている人は、経営者しかいないのだから、経営についての苦しみや悲しみは
経営の現場で、心身ともにすり減らして、分量をこなしてきた人にしか、実際のところは分からないと僕は思っている。

それは、かっこつけている訳でもないし、経営者が凄いという事を言っている訳ではない。
そして、俺はこんなにやっているんだから分かってくれ、認めてくれ、ということでも一切ない。
そう解読している人がいたら完全に間違っている。

ロウ付けの事は、ロウ付けを毎日真剣にやっている人にしか分からないし、品質の事は、お客様と品質の打ち合わせをしている人にしか分からない。
ただ、ロウ付けをやっている人が沢山いれば、理解者は増えるし、打ち合わせに同席した人数が多ければ、理解者は増える。

僕が悲しいと思っていることは、これは経営者の人は少し理解できるかもしれないが、組織の中で、経営者は1名しかいない。(役員を除いて)
経営に携わる人は、組織やチームにおいては、絶対的に少ない、これは誰もが分かる事実だろう。
つまり、経営における、苦労や辛さや、言ってしまえば愚痴を言い合えるメンバーは、同じ組織内にはいないと僕は考えている。

むしろ、社員からのそういった苦しみや悩み、愚痴に対して、1個ずつ受け止めて、解決していかなればならないのが経営者の仕事だと思う。
しかし、最近、それが苦しい、しんどいと思う事も増えてきたことは事実だ。それは僕自身が、それらを実現できていない己の無力さや精神的疲労から感じている。

僕自身が初めての育児や、仕事以外での様々なプライベートでの人生における出来事で肉体的にも精神的にも披露が蓄積しているのだが、
しかし、それも39歳という年齢付近で皆が体験する事なのかと思い処理している。

苦しい、しんどい、と思う理由ははっきりしている。若いスタッフが増えた事で、十人十色、それぞれの思いや考えや意見を、全て受け入れる事が現実的に不可能だからだ。
やってあげたいが、一人で全てを実現していくのは、今の状況の僕では厳しいことを最近痛感した。スタッフが悪いと言っている訳ではない。そう誤認しないでほしい。
単純に僕の実力不足だ。また、何かを実現するためには、ある程度の役員陣などへの説得というアクションが必要となり、これもスムーズにいかない事が多い。

僕は、色々な中小企業の社長や経営者から、社員と仲良くするな、一線を置きなさい、というアドバイスを沢山貰ってきたが、今ならその理由ははっきりとわかる。
仲良くなって全員の言っている事を叶えてあげる事が不可能だからだ。そしてそれが出来ないとなると、失望や不満になってしまうからだ。
それに、立場が違うから、やっている業務が違うから、良いとか悪いとかではなく、見ている視点が違うから
どこかで必ず亀裂が入るのだと思う。そして、社員は同じ立場、同じ業務をしている横の仲間がいる。経営者は1名だからだ。
ある程度距離を置きながら、公正公平に物事を分別し、必要以上に深く関わらず、冷静に経営判断を下し、利益を求める。確かに理にかなっている。

28歳、最初に佐藤製作所に入った時に、がむしゃらに働いてた時は、独身で、僕が採用した若いスタッフもいなく、家族やペットも皆若く健康だった。
だから、僕は、僕自身の事だけに人生の全てを集中していたと思う。だから、やれていたことも沢山あった。今だったら無理だと思うことだらけだ。
例を挙げれば、毎日遅くまで仕事をしていたり、沢山懇親会に出たり、会社でも売上を上げてお客様を増やして人を増やすことを一人の考えてやっていた。

今は、全部が無理になった。冷静に考えると、自分以外の誰かの為に使う時間がとても増えたし、責任が重くなったからだ。勿論、その決断は僕自身がしているから問題はない。
後悔したくないから、小さい子供や家族との時間は大事にしたい。子供のイベントや、突然くる子供の体調不良はあるあるだ。妻にも多大な苦労をさせたくない。
社員一人一人の考えや思いを聞いて、何とか少しずつでもそれを実現していきたい。両親は年を重ね体調が優れない事が増えた。実家で飼っているペットも年を重ねて通院が増えた。
友達とも中々会えなくなり、たまに会うことが出来る機会を大切にしたい。仕事も、営業現場や実務だけではなく、全体を見なければならなくなった。
一人でやる実務以外に、人と顔を合わせて交渉や説得や説明など、人に嫌がられる仕事が増えてメンタル面での負荷が上がり、疲労が中々抜けなくなった。
仕事やそれ以外での人付き合いも、年を重ねるごとに、有難い事に増えていくが、もうキャパシティーを超えている。何かを削らなければならない。

全てを求める事は無理だ。全てが上手くいくようなオイシイ話は無い。人生は常にトレードオフ、何かを得るなら何かを捨てる。
誰からも称賛されるような活動や人はいない。いたら裸の王様だと思う。必ず、全ての事は賛否両論。前例や、体験が少ないことほど否が多い。
人の口に戸は立てられない。意図していない風に捉えられて、誤解を招くことなど数え切れないほどある。
長く一緒にいれば必ず悪い面が出てくる、見えるようになる、ただそれが当たり前で、それを受け入れられるかどうかが大切。
人の悪い所が見えてくるのが普通、だから人の良い所を見つけられる人が好きだし、そういう人は素敵。
表面の1部だけ切り取って判断し、攻撃してくる人は世の中沢山いる。また、そういう人に大きな影響を受けてしまう人もいる。
基本的には世の中は結果が全て、結果を見て判断する人の方が多い。それまでの長いプロセスや考えに本質は宿っているが、それは見られることが少ない。
誰かを説得したり、説明したり、頼んで物事を動かすよりも一人で全部やった方が精神的には楽だが、時間は無限にはない。
人に何かを伝えるとき、自分の思っている事を100%完全に相手に伝えるのはほぼ不可能で、必ず間違った解釈が入る。
不機嫌は周りの人を嫌な気分にさせる、感情的にならず、いつも機嫌良くいられる人は大切な人。
目に見える事をしている人の事は良くわかる、目に見えにくい事をしている人のしていることをちゃんと見れる人は貴重。
全てが完璧で全てが大好きな人や組織や会社なぞあり得ない。しかし会社がそれを諦めてはいけない。

・・・と色々愚痴の様に書いたこれらは僕がこの10年間で実体験を基に刻んだ人生論の一部だ。

僕の事を社員を含めた皆様方がどう思っているか、正直今まで全く分かった事がないし、分かろうともしていないし、こうあって欲しいとも思っていないし、
何か言われたとしても、この方は僕の事をそう見ているのか、とドライに捉えることしかしてきていない。が、
もし誤解している人がいたら訂正だけしておこうと思う。誰からも好かれている訳ではないし、何もかも全て上手くいっている人なんてことは死んでもあり得ない。

社員の中には、嫌な奴だと思っている人もいるかもしれないし、普通に考えたらいるのが当然なのだと思う。
だから、誤解をしないでほしいと思う。全員が全員、仲良しグループなんていうのは、恐らくあり得ないのだろう。
しかし、それを目指したいという志だけは僕は持ち続けたい。

僕は、全く上手くいっていない。どう思うかは、見る人によって違うのは百も承知だが、僕自身は、今結構しんどい時期を過ごしている。
だから、会社を見て、誤解してしまう人がいるかもしれないが、僕自身がそう思っているのだから、それが正解だと言えるだろう。

いつも思っているが、内部の事は内部の人しか分かってないし、内部の人も全員それぞれ一人一人考えていることが違う。
一人一人の思いや考えや意見があるのは良い事だが、それを全部聞き入れることはできない。とても難しい。

上手くいっていない要素は、それこそ書ききれないほど沢山ある。それを書くととてつもない量になるので書かないが、
僕は、それらを1個ずつ、何とか良い人生になるように、前向きに、向き合って改善していくことしか出来ない。

1個だけ、僕の中で確かな事は「人間関係」がいつだってあらゆる場面で大きな悩みの種になる ということだ。
正解は無いし、だれにでも通用するテクニックもない、人によって千差万別、しかも時期や場面によって常に変化する。
良いときもあれば一瞬で悪くなることもある。何か小さなきっかけ一つで大きく破城する。
小さな蓄積を放置するとあるタイミングで大爆発する。

つまり、僕は、それでも何とかして色々な人と人間関係を良好に保てる人生を送れている人が、豊かな人生を送れている人に当てはまるのではないか
と本気で思っている。しかし、その道筋は全く見えていない。一寸先は闇で、常務、言ってる事が違うじゃないですか、で終わってしまう。

長々と書いたが、僕は、一人でやっていくよりも仲間とやっていく方向でいくと決めて10年がたった。
その方針は変えるつもりはない。昔よりも色々な制約や制限がある中で、この先の10年を改めてどうしていくか、考え直してみたいと思う。
また10年前と同じで、新たな佐藤製作所がスタートするかもしれないが、それも面白いかもしれない。

最後に、これだけは書いておこうと思うが、僕は、社員を信用していない、距離を置いていこうと思う、という事を書いてはいない。
僕自身が、皆の言っている事全部を実現させられるキャパと能力が無い事に気づいたので、どうしていくかを考え直したい。
社員は本当に頼りになるし、全幅の信頼を置いている、これからも一緒にやっていきたいが、見捨てられない様に今一度頑張り直したい。

この記事を書いた人

佐藤 修哉

1986年生まれ
学芸大学で生まれ育ち、鷹番小学校から中学受験で慶応普通部に
慶応義塾大学理工学部電子工学部を卒業後、大学院に進学
卒業後IT企業を経て2014年に祖父が創業した佐藤製作所に入社
若手社員とのコミュニケーションと2人の息子の世話に励む

東京商工会議所 事業承継対策委員
東京都労働産業局女性従業員のキャリアアップコンサルタント
https://www.josei-jinzai.metro.tokyo.lg.jp/program-introduction/instructor-introduction/shuuya-sato/