日記はタイトルをつけないと一応投稿が出来ないので、つけているが、気持ち悪いタイトルだなと思う。しかし、いつも通り誰かに何かを伝えたいと思って頑張って書いているものではないので、気にせず投稿している。もしそういった意気込みがある日記であれば、確実に頻繁に更新するだろうし、1記事ごとに明確なテーマを決めて、ターゲットに刺さるようにアプローチするでしょう(ビジネスマンぽく言ってすみません)
この日記はあくまでも自分の記録(ああこんなことあったな、この時はこんな感じの会社だったな、と振り返るため)として深夜の怖い会社で一人で疲弊して書いているのだが、余りにも、更新しなさすぎているので、さすがに年末なので総括的な事を記録しておこうとおもい、正直眠たいし寒い(暖房消えてる)が書く事を決めた。頭の中で、パッと思い浮かんだことはタイトルに書いた2つだった。他にも沢山の出来事やしんどいことがあって、ネタは多いはずだが、やはり直近の出来事や、常日頃自問自答していることは脳に強くインプットされているのだろう。それぞれについて書き始めるとする。
佐藤製作所の太陽
これは、社員のみんなだったら何となく分かる人もいるのかもしれないが、佐藤製作所の太陽と言ってもみんなが納得するような(しなかったらゴメン)女性社員がいる。その社員は、2021年に18歳で工業専門学校から佐藤製作所のインターンシップに来て、20歳で卒業して新卒で入社した。ここで、僕のような一応会社の経営に関わっている人間が、一人の社員のことを書くなどという事は、普通はあり得ないし、他の社長たちからはそんなことしたらダメだと言われる事だと思ってはいるが、普通はダメだと言われてきた事をもう沢山してきてしまっているし、きっと許してくれるだろうという甘い考えで書いていこうと思う(ダメだったら消す(笑))。
なんでその社員の事を書こうと思ったかというと、本当に幸せなことですが、ご懐妊しまして、来年頭にお子様が産まれる予定で、1年間(とりあえず)の産休に入ってしまったからだ。しかも、その夫となる人も同じように別の年のインターンシップに参加して新卒で佐藤製作所に入社してくれた社員だ。この日記はほとんど誰も見ていない事を想定して言うが、会社を経営していて、こんな小さな金属加工をする町工場で、こんな素敵な、素晴らしい事が、起きるなんて、正直いまだに本当なのかと一人で考えてしまうことがある。普通の会社なら、そういったことは比較的よくある事なのかとも思うが、僕は、12年前の佐藤製作所、金属加工業界、周りの一緒に頑張ってきた町工場、を誰よりも1番知っている(ここだけはそう思わせてください)から、本当に、こんなことが起こるのか?何でこんなことが起きたんだ?といまだに会社で夜一人になると、昔を思い出して、信じられなくなる。夜一人の会社にいると、昔の会社に戻ってきた感覚になるときがある。それが悪いとか、嫌だとか、最低の記憶だとか、そういうことじゃない。昔は昔で、大変だったけど、全部ひとりでガムシャラに何でもやって毎日怒られて何でも吸収して少しずつ色々と出来るようになってきたあの感覚を今はもう味わう事は出来ない(体力と気力が落ちてるという言い訳)。昔の会社に戻ったような感覚というのは、今いる強力な仲間たちがまだ誰もいなかった頃の状況に戻るということだ。明日も一人で日中は外回りして、夕方帰ってきて、そこから一人で夜まで事務作業をして、深夜の工場を掃除して帰るという毎日を送っていたあの頃を、深夜一人でいる会社は思い出させてくれる。(良い意味で、初心を忘れないようにしてくれているかもしれない)若い社員は一人もいなかったし、女性ももちろんゼロだった。だから、本当に、信じられない。でも、現実だ。
心に強くズシンと響く出来事や言葉は、あまり頻繁にはないが、それをくらうと、脳裏に焼き付いて離れなくなる。最近これがあった。それはその女性社員が産休に入って、本当に会社からいなくなった光景を見た時だった。「あぁ、本当にいなくなったんだ」と(産休でね!)、事実を目の当たりにしたときに、グッとくるものがあった。色々な想い出があるということもあるし、いて当たり前の存在、ということもあった。何より、少し会社の空気感?雰囲気?が変わったような気がした(ゴメン、そう思ってるの僕だけかもしれないが)。みんなも同意してくれそうだから書き続けるが、その女性社員は僕の中で太陽のようなイメージの人だった。僕とは違って、いつもニコニコしているし、怒ったり嫌な顔をしたりしている所をほとんど見たことがない(プライベートは分からん、ゴメン(笑))。そしてガッツがあってパワフルでもある。僕は、自分がコミュニケーション能力が低い人間だと分かっているので(暗いし、ニコニコ苦手だし、初対面の人と話できないし。・・・経営者向いてない?)、いてくれると安心するし、かなり助けてもらっていた事は断言する。その女性社員がいてくれると、空気感が明るくなって軽くなる感じがあるし、僕なんかより会社全体の雰囲気を良くしてくれているのは間違いない(ほめ過ぎか)。その女性社員を送り出す時も、僕が今まで見たことが無いくらい他の社員のみんなから労いの言葉や応援、プレゼントなど、すごいものがあった。それと、僕がさらに驚いたことは、お客様からもとっても有難いお祝いや祝福を頂いていたことだ(もうここではお客様と呼ぶのはやめたいくらい、仲が良い方々がいるんです。ね、M好さんY崎さん!)。僕は、本当に素敵な事だと思ったし、社内外関係なしに、仕事をきっかけに素晴らしい人間関係をつくっていることに凄いと思ったし(僕もそうありたい、難しいけど)、人として尊敬している。なろうと思っても、なれない。
こういうのを見て、僕は、やっぱり仕事を通じて作られる人間関係、それによって彩られるみんなの人生が、良い人生の要素の一つなんじゃないかな、と僕は感じました。だから、仕事だからといって、人間関係よりスキルや能力を重視することは、僕はしないんだろうなと改めて思っているし、今までもそうやってきたんだなと(それが、正解とか、成功とか、そういうことではない)。ただ、僕の中で「人間関係が良い」というのが、人生の土台にある中で、仕事を、経営をしている、というだけだ。売上、会社の規模、利益、ブランド、目立つかどうか、などをメインの目標にしてやっていない(いや、やった方がいいのか?(笑))ということを改めて腹に据えてやっていこうと思う。土台がしっかりしていないと、きっと、上手くいかない時に折れる、崩れる。上手くいかないことだらけで、それを何とかするのが仕事と人生だとするのであれば(というか僕は残念ながらそう)、土台が盤石でないと、潰れる。僕が大事だと思ってることは、人間関係を土台にする、ということじゃない。自分が一番大事にしている土台となる要素が何か?ということを、個々で、自分と向き合って、それをはっきりさせておくということだ。僕は、12年前の最初の佐藤製作所の時の経験から、人間関係を土台にしないと、僕は無理だ、潰れる、と自分で何とか探し出せたことが、今何とか生き長らえている理由なんじゃないかと今思った。そこで、「売上」や「規模」や「利益」を土台にしてやってきていたら、僕はもう佐藤製作所にいなかったかもしれない。分からないけど。
話を戻すと、「太陽」と書いたのはもう一つ理由があって、実は(ちょっとややこしいのですが)他の男性社員もほぼ同時期に3か月の育児休業を取得しまして(祝!1月に第一子誕生)、その社員と少しチャットでやり取りしているときに、「その女性社員が産休に入るから会社の雰囲気少し変わりそうですね~」と言われたので「佐藤製作所の太陽だからね(笑)」と返したら「ぴったりの表現ですね^^」と言われた事が、僕の記憶に強く残っていたんです。小柄なんだけど、やっぱり太陽のような存在なんだなと。話がすごく飛ぶが、学生時代とか、昔を思い出すといつのタイミングでも必ずクラスに一人二人は太陽のような存在の人がいたな~と思う事がある。明るくて、ニコニコしてて、誰からも嫌われない。僕は、全然そんなんじゃなかったから、そういう人は凄いな~、いいな~、ってずっと思っていた感じだったので、憧れもある。今も、経営者の集まりや、ビジネスの集まり(ほとんど行ってなくて幽霊扱いされ始めているが)でも、どうも愛想よく対応できなくて、そういう太陽みたいな人がいるとその人の近くにいって安全地帯でたまにジャブを打つような感じだなと思った(・・・まじで営業も経営者も向いてないんじゃないか・・・?)。ただ、同時にそういう太陽のような人が近くにいてくれることが比較的多いような気もした。理由は分からないけど。本当に自分の事はよくわかっている、一人だと本当にコミュニケーションが下手だから。
そんなこんなで、佐藤製作所の太陽がいなくなって(産休でね!)、ぽっかり心に穴が空いたような2週間を過ごして、ようやく少しずつ慣れてきたような今です。やっぱり、当たり前の毎日から、何かが欠けると、人って心が揺らぐんだなと改めて実感する機会となりました。だから、いつも通りの毎日、1日1日を、これが良い1日だ、今日もいつも通りの毎日が送れてハッピーだ、と思える心を持つことが、幸せな人生を送るコツなんじゃないかなと僕は改めて思っています。僕も、少し前は、何か新しいイベントや、大きな成果、新たな出会い、未知の場所へ出張、などそういった非日常の出来事に刺激を求めて何もないただの毎日が苦痛だった時もあったけど、今はそう思わなくなった。しつこいけど、誤解されたくないから書いておくと、それが正解とか、それが幸せとか、それが出来てないとダメだとか、そういうことを書いていない。どういう時に、自分が本当に良い1日を過ごせたな、ハッピーだなと思うのか?ということを、個々でしっかり見つけることが大切なのではないか?ということだ。しかもそれは、コロコロ変わってもいい。しかし周りに流されたり、SNSの情報に右往左往していたら、一瞬で辛い毎日になってしまうので、それは避けたい。僕は、今は、そう思っている。40歳目前で。
そろそろ頭も指も疲れてきたし肩も凝ってきた。時間も深夜2時近い。冷房はとっくに消えているので寒い。音楽をかけていないと余りにも怖い(今は佐野元春のsomeday)。足元は超冷たい。明日は会社の大掃除。これから自転車で帰る。泣きそうだ。時間が無いのでタイトルにもう一つ書いた、僕は会社に必要な人間かどうか、ということについて少し述べる。
これは、最近僕は良く自分で自分に問うことだ。「僕って、これからも佐藤製作所に必要なの?」「何で貢献できるの?」「役員とか社長になるっていうけど、君しか出来ない事は何?」「他の人が出来ることばかりやってたら、君、いる価値ないよ?」「偉そうにみんなに指示だしてるけど、君は何をしてるの?」「会社に問題がおきたら、君が解決できるの?」と、挙げたらきりがない。本当にこれらの事は、毎日のように頭のどこかにこびりついている。だから、僕は、「経営」ってなに?「社長」ってなに?今僕が毎日やっていることは「僕しかできないことをちゃんとやってるの?」とかを考えてしまっている。
なんでそんなことを考えるようになってしまったのか?を考える。1つ浮かび上がるのは、営業も、生産管理も、製造も、強力な仲間が増えたからだ。僕が今までやってたことを、やってくれている。むしろ僕より上手くやっていることもたくさんある。もう一つ明確な事もある。僕は「現場の仕事をしていない」ということだ。製造業の会社ではあるが、僕は製造には直接携わってはいない。モノを作ることは崇高な仕事だと僕は心から思っている。ポジショントークかもしれないが、それを10年以上(まだまだ未熟、若輩者ですが)近くで見てきている中で、そう思っている。その理由を説明していくと、ブログ3記事位になりそうだから今は書かない。そういう強力なスタッフが仲間にいる環境で、僕は役員で、後継者だから、誰よりも会社に価値を生み出さないといけない。そうでないと、いる価値がなくなってしまう。会社から必要だとされなくなる。じゃあ、僕は何をすればいい?何が出来ればいい?それを毎日考える。太陽のように明るく照らせる存在でもない。答えはまだ出ていない。そしてこれは毎日の悩みとなっている。解放されることはない。そして恐らく明確な正解はない。自分で、ある程度予想して、それを信じてやるしかないと思われる。間違ってたら何度も修正するしかない。
今の、僕のふわっとした考えは、一応こうだ。「新しい仕事が定期的に入ってくる」「やったことのないチャレンジを継続させる」「良い性格の人が定期的に入ってくる」「会社の働く環境が少しずつ良くなっていく」「給料が少しずつ良くなっていく」「会社の空気や雰囲気がギスギスしない状態を維持できている」「日々会社で起きている問題を見逃さない」「言いづらい事をしっかり言う」「情報やデータをみんなで共有する」「平等に接する」「意見や提案を出しやすい環境をつくる、それを実行する」「みんなでコミュニケーションを取る機会をつくる」こういったことを、キープするのが僕の仕事だと今は考えている。しかしこれは、明確に目に見える成果ではない。日々、体感できることではない。経営者が、社員から乖離されて、距離を置かれて、浮いた存在になってしまうケースは多いと思うが、僕は恐らく、こういった「日々成果が見えにくいことをやっている」からなんじゃないかと最近思う。そしてやっていることが、成果が出たとしても余り実感が沸かない、人によって体感の差がある。そもそも頑張ってやったけど成果が出なかった、むしろ悪化した、というケースも多々あるだろう(僕も数え切れないほどあったし、今も数え切れないほど現在進行形である)。営業なら受注を取る、生産管理なら不良と納期遅延をゼロにする、製造なら良いモノを作る、など、比較的みんなが分かりやすい成果がある。しかし、マネジメントや経営は、それが分かり辛い。(なんか、自分のやってることが分かり辛いけど頑張ってやってるんだよという正当化に感じてきた)。だから、「あの人なにやってんの?」となる。そして孤立する(仕事において)。人間関係が良い職場で、みんなで協力しあって大変な仕事をクリアしていきたい、という僕の最初の想いからは少しずれているが、それは仕方ない事だと思う。理由は簡単だ。僕の立場が、一番下っ端最若手社員から、中堅(というか上から数えた方がはやいか・・・40歳だし)管理職になったからだ。むしろ、今の立場で、バリバリ自分の作業ばかりやっていたら、会社としてマズイ状況になってしまうと思われる。話を戻すが、これからも会社に必要とされる、会社に大きな価値を生み出す存在でなければならない、ということは間違いないので、それを実現するには僕は何をしたらいいのか?という問答から解放されることはきっとないのだろう。むしろこれからもっと仲間メンバーがレベルアップしていくだろうから、僕はさらに追い込まれる気がする。
自分が佐藤製作所にとってなくてはならない存在になるために、何をしなければならないか、何をやめなければならないか、をもう少し考えていきたいと思う。そして、きっと、なくてはならない存在になれた、と思うことは無いのだと思う。そして、なくてはならない存在だと言われる事もないのだと思う。あったとしても、それはおべっかなんじゃないかと疑ってしまう。しかし、社員の誰かから、いつか、それを本心で言われたのなら、それ以上に嬉しい事は僕は無いのではないかと思った(その時は理由もきっちりと聞きますね(笑))。そういう希望や小さな夢を持って、仕事をしていかないと、大変ですよね。
さて、帰ります。もう2時半。こんな働き方をしてはいけません。年末だから、頑張りました。僕たちは佐藤製作所の太陽の帰りをみんなで待っております。写真はこの前の忘年会なり。

