監督のいないサッカーではもう勝てない

私は、今もフットサルを続けていて、それと同じようにサッカーをすることも観戦することもとても好きです。ここ数年仕事をしていて感じている事が、最近のサッカー日本代表を見ていてどこかでリンクするなと思いました。(日本代表の監督ハリルホジッチがW杯直前で更迭され、それは選手の圧力が原因だという憶測がある。言い方を変えれば、選手主体でチームが動いた。)

スポーツ観戦、特に球技が好きで、この仕事を始めてからスポーツ監督の書籍を良く読みます。個人的にですが、経営に非常に通ずる内容が多く、とても勉強になっています。ベタですが、岡田監督、野村監督や落合監督は特に共感する部分が多く、勉強になります。

私も監督という訳ではありませんが、常に会社においては頭になる存在である、そうならなければいけないという自負を持ち仕事をしています。その中で、自分だけは絶対ぶれない芯を持っていなければならないことが当然あります。

「つねに経営者(監督)であること」

一言で言えば、これになると思います。監督も近いかもしれません。(現実的にはオーナーもいますし一概には言えませんが)
つまり裏を返せば「完全な選手にならない」ということです。

誤解を招いたり、怒りを覚えてしまうかもしれませんが、「完全な」というワードが大事だと思っており、どっぷりつかってしまうと周りが見れなくなり、広い視野で会社・自分を俯瞰する事が出来なくなってしまうということです。当然、フィールド(現場)を知っていないと出来ない事も多いので、知ることは欠かせません。

私も、どっぷり選手になってサッカー(仕事)に集中したい、むしろ他を考えずそれに没頭する方が楽しいのに、と思った事も多々ありましたが、それは出来ませんでした。それは、弊社が「完全な監督」のいないサッカーで勝ってきた会社だからです。変革が必要でした。

今までは、プレイングマネージャー(と呼ぶとしっくりとくるかもしれません)がトップであったように思います。特に中小企業は皆が選手、皆がプレーヤー、というケースが多く、それについては私も異議はありません。現にそうしなければ仕事を完遂することは困難だと思います。

また誤解を招くかもしれませんが、社長が経営出来ていないという事を言っている訳ではありません。現にそのサッカーで勝ってこれたからこそ現在61期目を迎えているのです。結果が全てなので、今に至るまでチームを潰さず存続出来たことは、正解のサッカーをしてきたからです。
時代にマッチした正しいサッカーをしてきた、その判断をしてきた、ということです。

しかし、私が入る少し前からはそのサッカーが通用しなくなっていました。

むかしは、日本全体がおせおせいけいけの時代(という話を良く聞かせて頂いております)の中で、こなしきれない量の仕事を皆で力を合わせて我武者羅にこなしていく。やってもやっても終わりが見えない。毎日のことで手一杯。当然そんな時代であれば監督よりも一人でも優秀な選手が欲しいと思います。私もそう思います。

その時代が終わりを迎え、仕事も人も、自ら動かないと巡り会わない時代になりました。優秀な選手だけではなく、完全なる監督が必要な時代になっていたということです。一言で言えば、時代と社会が変わったということです。

僕が今の時点で考える、監督(会社経営者)としての重要な役割、つまり自分が力を入れて日々考えている事が3つあります。

①チームとして力を出すこと(個に依存しない)
②強みを見極め戦術を考え、アピールする。
③スカウト(採用)、と育成(教育)

まだ30代前半の若輩ですが、自分の経験上、完全な選手として、若しくはプレイングマネージャーとしての姿と同時進行で、上記のような3つのことを考え、実行していくことは不可能でした。(これが同時進行で出来ている人もいるかと思いますが、中々思い当たりません)

そして、会社というチームを運営し、継続させていく為に、上記3点が今の私は必要不可欠な要素だと考えています。完全な監督のいなかったチームの中でそれが出来るのは私であり、会社にいる理由だとも思っています。勿論、ずっと一人だと大変なので時間をかけて共有していきますが。

考えや想いとは裏腹に、いざそれをチームに浸透させることは非常に難しいことでもあります。むしろそこが一番難しい。弊社は創業61年、手前味噌ですが、61年間もの間存続していた会社です。しかし、社歴が長く素晴らしい会社(と呼んで頂けるように)であると同時に、会社の常識となって染みついてしまっている事が多いのも事実です。

繰り返しますが、それは決して悪い事ではなく、むしろ正しかったことです。しかし、時代や社会の変化と共に、少しずつ変えていかなければならないことがあるのは事実です。上の3つの事を、小さく、少しずつ、でも確実に、行っているのが私の仕事の大きな部分です。

優秀な選手を抱えてきた弊社において、新たに私が行っていることは中々理解されずらく(私も説明が下手なもので)、見方を変えると暇にしている、遊んでいると思われても仕方ないかとも思います。選手として日々愚直に全力で汗をかいてきた方々から見れば、私は何をしているんだと思うのが当たり前だと、理解しています。現に今まで幾度なくぶつかり、言われてきました。

しかし、それでも私がやらなければいけないという強い気持ちを持って踏ん張り、やっと少しずつ会社が形になってきたように感じます。

理解してもらいたい、分かってほしい、何で分からないのだろう、と思っていた時期もありましたが、それは不毛な考えであったと今は思っています。結局は、結果が全て(というと寂しい言い方になりますが)という所もあり、それを受けて何となく「ああよかったな」「間違ってなかったな」と自分が思えるかどうかが大事だと今は思っています。今はまだそこまではたどり着いていませんが。

勿論、そう思える為には自分だけが良くてもダメで、一人ずつでも同じように感じる人が増えて、最終的には皆が感じる様になれば最高だと思っています。皆とは、会社に関わる皆なので、社員もお客様も協力してくださる仲間の方々も、お世話になっている先輩方も、、、先はとてつもなく長いです。

締まりがないですが、結局、先が見えないという点では昔と同じなのかもしれません。

この記事を書いた人

佐藤 修哉

1986年生まれ
学芸大学で生まれ育ち、鷹番小学校から中学受験で慶応普通部に
慶応義塾大学理工学部電子工学部を卒業後、大学院に進学
卒業後IT企業を経て2014年に祖父が創業した佐藤製作所に入社
若手社員とのコミュニケーションと2人の息子の世話に励む

東京商工会議所 事業承継対策委員
東京都労働産業局女性従業員のキャリアアップコンサルタント
https://www.josei-jinzai.metro.tokyo.lg.jp/program-introduction/instructor-introduction/shuuya-sato/