「岬めぐり」は、1974年に発表された山本コウタローとウィークエンドの曲のタイトルである。
前回書いた記事からまたすごい長い時間が経過してしまい、そろそろ書いておかないともうずっと書かなくなるであろう自分の怠惰精神を分かっているので、重い腰を上げて夜中一人でキーボードを叩きだす。別に誰かが待っている訳でもなく、書く必要もないのだが、昔の多分頑張っていた自分に申し訳ないという気持ちがあるのだろうか。
この10年でいえば、夜中の会社に一人でいることは、何度となくあった。正直、夜一人の会社、工場は凄く怖い。もともととてもビビりで臆病なので、音楽をかけていないと怖くていられない。当然電気もMAXで付けている。非常に経営にとって悪な事をしている。一般常識、べき論で言えば、こんなアタオカが役員でいいのだろうか?こんなことを書いて(言って)しまっていいのだろうかとも思うが、そんなときもある。毎日やっているわけではないから良いじゃん、と言ってくれる優しい人もいるかもしれない。
いつもの事だが、特に、何かを書こう、何かを伝えよう、これを書きたい、と思って準備して書いているものでは無い。昔は違ったかもしれないが、今は本当にノープランで「ああ、もうこんなに書いていないのか、何か書いておかないとな・・」という感じで、キーボードを叩きながらその時思う事を記録として残しているというのが正しい。
だから、文章も行ったり来たり、起承転結も無く、散文してしまうということだ。早速いま思った事だが、なぜ昔とは違って今は追われるように、ノープランで書くようになっているのか?を考えてみた。
色々と要因が浮かんできたが、真っ先に浮かんだのが「疲れ」だ。理由としてはダサいし、リーダーが絶対に言ってはいけないと思われる言葉の一つだろう。しかし疲れといっても体力的、精神的と分かれる。僕自身、最もダメージが大きいのは常に精神的な疲れの方なのは間違いない。体力が問題なくても、精神的な疲れがあると、体力はあるのに、やる気がでない、行動ができない、動けなくなる。
間違いなく、精神的な疲れが最近蓄積されていっているな、というのは自分の事だから分かる。体力的に疲れても、休めば回復する。それこそ自分がガムシャラに全部やって何とかするんだ、という時期はそれで頑張ってこれたのだと思う。
なぜ今精神的な疲れが増えてきているのだろうか?思い当たる節は結構ある。が、これも自分の人生を39年(もうすぐ40年)生きてきているので良く分かっている。僕が最も精神的なダメージを負い、疲弊するのはいつだって「家族」「身内」「社員」「友人」などの、すごく身近な人間との関係にモヤがかかったときだ。
「モヤがかかる」と下手な表現をしたが、うまい言いかたが分からない。言い争ったり、喧嘩したり、否定されたり、怒られたり、恐怖を感じたり、揉め事が生じたり、そういった色々なことがあるだろう。
それ以外の事は、正直、あまり大きなダメージを負うケースは少ない。何かに失敗したり、〆切間に合わず徹夜したり、負けたり、そういった事は全て自分一人の問題なので、回復も早い。でも人間関係は、そうはいかない。改善するためにはいつだって大きな労力が必要になる。それも、長い時間がかかるケースが多い。
直近で言えば、もうこれは幾度となくあることだが、親との関りになるだろう。実は、この良く分からないブログにもそれなりに反響を頂くことがある。そのほとんどが、僕と同じ境遇の、後継者の方からのものだ。そして、僕と同じような悩みを抱えているという反響が今までは多かった。だから、よくあることなのかもしれない。
僕の周りの後継者仲間(交友関係が狭いので少ないですが)には、父親とすごく仲が良いパターンが稀に存在しているが、稀だ。信じられない位仲が良い所もあるが、稀だ。いい事か、悪い事か、で言えばどっちだろうか?僕は、仲が良くて、会社も良いのであれば、良い事だと思う。仲は良いが、会社が悪いのであれば、良くない事だと思う。難しい。
僕の話に戻すが、やはり仕事や経営についての考えでいうと(若造がいっちょ前に経営を語り申し訳ございません。)、親父とは一致しない点がすごく多いのだと思う。どちらが優れているとか、どちらが良いのかという話ではなく、「これが大事なんだ」と思うポイントが、それぞれ違うというだけの話だ。しかしそれは、友人でも夫婦でも誰との間でも共通することだとも思う。
そのポイント、つまり個の考えの軸、根っこ、ベース、土台の部分が違うから、ある何かの課題や要素があったときに、「俺はこう思う」「僕はこう思う」という意見が一致する事が無いのだ。
しかし、会社の経営は、人生は、日々目の前に起こり生じるあらゆる要素に対して、常に何かを決断していかなければならない。当然、一致はしないので、どちらかが折れることになる。納得は出来ない状態のまま。
話を通せた者は、「やったよかったこれで安心だ」と喜ぶのだろうか?僕はそうならない。なぜなら、父親は不満を抱えたままであり、そういう雰囲気がある状態が会社にとって良いわけがない。僕だって、本心でいえば、「なるほどな、それはいいかもな、よしそうしよう」と前向きに背中を押してもらいたい気持ちがあるに決まっているが、そうなることは無い。
今は僕が意見を通したケースの話をしたが、逆の場合だってある。その場合は僕が非常に不快な態度を出して「勝手にしてくれ」というような暴言を吐いてしまったこともあった。もっと酷い事を言ってしまった事もあるが、それについて謝罪をするようなことも出来てはいない。今まで何度か、かなりヒートアップして爆発してしまったこともある。普段はそんなことが無い人間なのだが、親子の時だけは何かが違うのだろうか。
もう10年以上そういった事を繰り返して来ている中で、いまだに収束の兆しは見えない。それは、根っこの考えが違うからなんだと思う。しかも、僕は色々と新しい事に手を出し、今までの佐藤製作所のやり方からするとそれは無いだろうという事もやってしまう。そのたびに、そういった事が起きるのは宿命なのだろう。
ここで、また話が少し戻るが、最近疲れているという要因は、最近久しぶりにまたデカめの爆発があったからなのだと思う。それをかなり引きずっているのだと思う。特に最近は、会社の5S活動にブーストをかけて一気に色々と改善しようと手を加えていっているので、意見の食い違いが起きやすい状態でもあった。
母親は恐らく凄く心配していて、僕と親父の間を取り持とうとしてくれているのが会話や態度から伝わる。分かっているが上手く出来ない自分がどうすればいいかも分からず、母親にも冷たく接してしまう始末。打開策が見えない状態のまま、今キーボードを打っている。当然、仕事中の会話はほぼ無し、それがきっと社員にも伝わっているのだろう。会社にとって良いことなわけが無い。申し訳ない。
誤解している人がいたら嫌だなと思うので、一応書いておこう。当然、全員人として、人間として嫌いだという訳ではない。そういう人とは身近に居たくない。仕事や、何かを決める時に、方向性や考えが中々一致しないので、そこで失望や諦め、怒りが沸いているということだ。それはお互いにだ、僕が正しいから納得しろ、なんで納得しないんだ、ということを言っている訳では全くない。
僕や親父が決定することが、おおげさに言えば、会社の命運を決める。だから、簡単には引き下がれない。そこが本件の、非常に辛く厳しく悲しいところだ。普段のプライベート的な事であれば、僕はかなり折れる、争いたくないからだ。しかし、会社の事は、引き下がれない。それは頑張ってくれている社員の仲間たちにとって、絶対にこうした方が良いはずだ、という僕なりの考えに基づいた決断だからだ。
結果的に、僕の決断が悪かった、間違っていたという可能性も当然あるだろう。しかし、その時点では、絶対にこうした方が良いんだという深い考えのもと、決めた決断だから、親父だろうと曲げられない。それが、キツイ。
結果的に、今までも、ほとんどの事は全部上記のような感じになって、この10年佐藤製作所は色々と変化してきた。当然僕の間違いや失敗も沢山あった。親父の決断が正しかったことも当然ある。しかし、たとえ上手くいっても、また次のバトルがある。上手くいかなければ、やっぱり駄目だったなとさらに信頼を落とす。
両親は65歳位だが、どちらに対しても反発し、不安にさせたり心配させている僕は親不孝者になるだろうか。いつか自分の態度や行動を後悔する時が来そうな気もする。きっとそうなる気がする。しかし、だからといって今すぐ何かが自分に出来るかというと、それも思いつかない。詰んでいる。
親=社長=上司がいて、母親=経理がいて、僕がいて、それだけならまだ何とかなりそうだが、僕には社員という大切な仲間がいる。この間を取り持つのは、メンタルコントロールがすごい重要になってくる。今までは若い社員が少なかったからその間を取り持つことにあまり気を使わなかったが、もう今は半数以上が若い社員で、今後も増えていくようにしたいと考えている。余計な気を使わせない様にしないといけない。
さて、記事のタイトルにある「岬めぐり」。実は、今さっきスマホに入っている昔のプレイリストからランダムに流れてきたものだった。
これが流れてきたときに、急に思い出した事がある。
それは、僕が「佐藤製作所に入社させてほしい」と、社長、専務、母親、工場長に頼んだ日の事だ。みんなで、今は亡くなってしまった祖父の使っていた四角いテーブルを囲むように座り、僕がそう頼んだら、専務が涙を流して喜んでくれたことは今もよく覚えている。親父は厳しい顔をしていたような気がする。
その後だったと思う。後にも先にもそのメンバーでご飯を食べにいったのはそれが最初で最後(まだ今後あるかもしれないが)だと思うが、その2次会で、なんでそうなったのか忘れたが、カラオケがあるスナックのようなところに行った。
そこで誰が何を歌っていたかは全く覚えていないが、唯一覚えているのが、僕が「岬めぐり」を歌ったこと。そして酔っぱらっていたと思うが、親父がそれを聞いて間違いなく泣いていた。笑いながら泣いていたような感じだった。ただ、それを思い出したというだけなのだが。
何の結論もないが、深夜会社で、怖いから音楽をつけていたら、何年かぶりに岬めぐりが流れてきて、その時のことを思い出して、なんとなく最近の事を記録しておいた、というだけでした。何も解決はしておりません。