80歳の溶接職人と65歳の社長と60歳のトンカツ店主と38歳の自分と20代の社員達

80歳の溶接職人と65歳の社長と60歳のトンカツ店主と38歳の自分と20代の社員達

前に書いた日記を見直す事はまずないが、最近依頼を頂いているとても熱心で礼儀正しい学生2人からのドキュメンタリー取材の際に、今まで受けた事のない、自分の過去日記について「あの記事のあの文章はどういった心境で書かれたのか?」という質問を何個か頂き、やや恥ずかしい気持ちにもなったし、かなりテンパった。なかなか回答ができず、悪いことをしたなと思った。。。

この日記は誰かに何かを伝えたい!という熱い想いで考え抜いて文章を作ってきたわけではなく、ただ本当にその時僕が考えていたことを吐き出すような作業であるため、嘘の記載は無いが、すぐにあれはこういう考えてこういう理由で!という回答が難しいことが自分でも分かった。時間を少しもらえれば、なんとなく思い出して説明は出来る、ような気がするが。(質問したことを責めてる訳では全くないので誤解しないように!笑)

そしてその時に自分の記事を見ながら、学生からのインタビューに回答したのだが、これも少し恥ずかしかった笑。前置きが長くなったが、でも、それが理由で、前回の記事からまたすごい期間が経っている事に気づいて、サボり癖と甘えがある自分への戒めの為に、そろそろ書かないといけないなと思えたきっかけになったので、2人には感謝をしています!笑(これが言いたかった事)

書こう、と思った時に、しつこいが「誰かに何かを伝えていきたい」という考えで、テーマを決めて書いているわけでは一切ない(過去の記事を見てもらえればその統一感の無さがすぐわかると思うが)ので、今回も最近心に残ったことなどを記録しておこうと思う。今までと同じように。

さて、記事のタイトルに書かせて貰ったことがとりあえず最近、というか数日前に心に残った事をまとめたものだ。タイトルだけだと意味がわからない(自分でも)ので、まず起きた出来事を記録しておこうと思う。

先日、会社がある学芸大学駅で30年間営業している最高のトンカツ屋さんが、今年の6月頭に閉店する、というニュースが学芸大学のオープンチャットで投稿された。このトンカツ屋さんは夫婦2人で30年やっており、僕が小学3年生位から行っている思い入れのあるお店だ。もちろん、社長、経理(父、母です)、妹も昔から通っているし、テイクアウトして家で皆で食べることも沢山あった。昔は家族4人でよく通っていたみたいだ(by母親)。僕は最近も、1人でよく食べに行っていたので、閉店のニュースは驚いた。店長もまだ若々しかったので尚更。1人で行っても、必要以上に会話をせず、決まったメニューを、いつも決まった最高の味で、良いタイミングでキャベツのおかわりを出してくれる、居心地の良いお店だった。

閉店をするお知らせを見て、一応僕から家族にはラインでその情報を流しておいた。特に反応は無く、その話題は家族内ではしていなかった。一昨日くらいの話だが、仕事が溜まっており残って片付けないといけなくなり、1人で夕飯を食べ、1人で会社に戻って仕事をしようと考え(仕事が出来ない人の働き方なので真似しないように。。。)、お店を考える時にそういえば、、、と思ってその店へ1人で向かった。それなりに混んでて、カウンターに通された。ここまではいつも通り。

いつも通りの注文を頼んで、いつも通り待っていた。イヤホンをしてYouTubeを見ていた。いつもと違って、急に肩を叩かれた。見たら笑顔の母親だった。テーブル席にはもう親父が座っていた。親父はまだ僕に気づいていない様子だった。どうやら、お店の奥様が、僕(息子)が1人で来ている事を知っていて、母親が入店した時に僕がいることを伝えてくれたようだった。

ちょうど、テーブルは2人用で、他は埋まっていたのと、カウンターも混んでいた状況だった。母親は僕と一緒に合流したい様子だったが、親父は「別にいいだろう」というような雰囲気だった。僕は最初はどっちでも良いかな派だったが、同じ店の中で別のところで両親が食事しているのを知りながら1人で食べるのも何か微妙な感じがしたのと、この歳(38歳)になって、たまたま両親とトンカツ屋で一緒になって3人で一緒にご飯を食べる、なんていう機会がこの先どれくらいあるだろう?って思ってしまい、まぁでも折角なら一緒に食べるかぁ、という考えになった。おそらく20代の僕なら、そうは思わなかったかなとも思う。歳を重ねて、考え方も変わったのかなと思う。

とは言え席は空いてないので一旦母親がテーブルに戻り、社長(親父)と2人で座った。少ししたら、たまたまカウンターが空いて、横並びだから微妙か?という悩みは一切無いように母親が父親を連行してカウンターに移動した。トンカツ屋の奥様も、折角だからどうぞと言ってくれていた。

会社でも3人で話すことはあるが、当たり前だがそれとは全く異なる状況で、3人横並びで、38歳、65歳、65歳でトンカツを食べるのは新鮮だった。親父は昔から同じで、トンカツに串カツを付けて食べる。キャベツも好きだからおかわりをする。母親は最近食が細いからトンカツ定食食べれるのか?と思っていたが、なんと全て1人前食べた。これはかなり驚いた。少しだけ僕がご飯を貰ったが、それでも信じられない完食だった。今は僕も子がいるから、少しは分かるかも知れない、逆の立場だったら息子とたまたま会って一緒にご飯を食べれたら、嬉しいだろう。並びが、僕、母親、親父だったから、親父とは特に会話をしなかったが、親父の性格を考えると嬉しい事は嬉しいんじゃないかなと思う。

そして、たまたまだがその日最後に入店したのが両親だったので、最後がお店のご夫婦と、僕たち3人だけになった。僕1人のままだったら、食事中は会話せずに、お会計の時に少しだけ挨拶をして帰っていたと思う。でもその日は、偶然が重なって、5人で色々と会話をすることができて(親父と店主が結構話をしていてそれを僕が聞いている感じだが)、知らなかった閉店理由や、店主の趣味やこれからなど色々知ることができた。これは親父GOOD JOBである。

30年を迎えること、どこで修行したか、などもその時知ったが、特に印象に残った会話は、閉店の理由と、店主のこれから、の2つだった。

閉店の理由は、シンプルに言えば「体力の限界」とのことだった。僕なんかには全く想像できないすごい仕事をしていると本当に思うが、まずやはり還暦の体に「立ちっぱなし」の毎日は相当ハードだということだ。しかしまだ60歳と若く、本当の限界を迎えてはいないようだが、本当の限界を迎えてから辞めるのは迷惑をかけるから、その前に身を引く、と言っていた。

そして僕が一番胸に刺さったのは「体に無理が効かなくなってきて、忙しい時に自分が自信を持って出せるトンカツが出来ない事がある」「恥ずかしいし申し訳ないからお客様の顔を見れない」

ということを言っていた。正直、そんなことを感じたことが無いからピンと来なかったが、本人は納得が行かないのだと言う。僕の親父も「やっぱり店主は素晴らしい職人なんだな」と名残惜しい気持ちが強い中、感心をしていた。

僕は、その話を聞いている時に、佐藤製作所を昔から支えてくれている、今も現役のもうすぐ80歳(まだ70代だが)の職人が重なった。その大ベテラン職人は、社長の叔父にあたる方で、僕の親族である。僕が入社した10年前から、佐藤製作所のモノづくり仕事における、理念、文化信念、大切な心構え、をずっと教えて貰っている師匠だ。技術は当然なのだが、僕が最も尊敬していて、信頼していて、学ばせて貰っていることは、「心構え」だ。佐藤製作所に入ってくれている若手社員には、例外なく全員に、その「心構え」が人として技術者として、一番大事だからそれを学びなさい、と繰り返し伝えている。

話を戻すが、トンカツやの店主が言っていた事は、佐藤製作所のベテラン職人と重なる。ベテラン職人も、毎日のように繰り返し、「こんな品質でお客様に渡せるか?」「恥ずかしいだろう」と自分の作った物や、他の人が作って佐藤製作所の製品として出荷する物に対して言ってきている。僕が入社した時からずっとだ。そしてそういう発言をしているのは、10年間、会社の中で「ただ1人」だ。今もそうだ。他の人が見たら、「これで大丈夫だろう」「よくできた」という感覚になっている品に対しても、その職人だけが苦言を呈すことが、多々ある。

僕は、トンカツ屋の店主と、佐藤製作所のベテラン職人が、重なった。そして2人とも、自他共に認める、最高の職人なのだと思う。僕が最も大事だと考えている「心構え」が2人を「最高の職人」にさせたのだと思っている。僕はそう信じている。

そして、そう言う方々は、ほぼ例外なく、歳を重ねるほど、世の中からどんどん必要とされていくように、僕は思う。老害というワードがあるが、それを一切感じさせないハート、技術を持っている。僕は、そういう人が素敵だと思うし、素敵な人生を送っているなと思う。なぜなら、幾つになっても、周りに人が集まって、人から必要とされ、社会との繋がりがあるからだ。トンカツ屋の店主は、たくさんの人に惜しまれながら引退する。しかし、その後はなんとジャズのウッドベース演奏者として本気でやっていくと言っていた。きっと素敵な職人だから、道具が楽器になっても成功するのだと思う。ベテラン職人も、毎日若手社員から質問され、助けを求められ、お客様からも相談され、どんどん忙しくなっている。(会社としてはそれはまずいのだが。。。)

人生の正解とかそういう話をしているのではなく、「僕は」、そういう人が好きだし、素敵な人生を送っていると思うし、できれば僕もそうなりたいと思うし、できれば社員も全員そうなってほしいし、家族もそうなってほしいなと思っている、ということだ。僕は、誰からも必要とされなくなったり、邪魔者扱いをされたり、嫌われたりして、孤独になりたくない。仕事の能力もないが、仕事だけができて、周りからは嫌な奴だと思われていたくない。そういう思いが、今の時点からかなり強い。欲を言えば、そういう考えに、共感してくれる方と一緒に働いていきたいと思っている。なぜなら、会社で仕事をしていく以上、会社の方針や考え方にある程度共感できなければ、いつかどちらかが苦しくなって、別れが来ると思うからだ。

ただし、トンカツ屋の店主や、ベテラン職人のようになるためには、時には何かを犠牲にして並外れた努力をしないといけないとも思っている。それが僕の大切にしている「心構え」であり、仲間のため、お客様のため、家族のため、など人生における様々な場面で、独りよがりの考えや行動をしていては、絶対に素敵な歳の重ね方は出来ないだろう、と僕は考えている。自分の都合、自分の意見、自分の価値観、だけを押し通す人生は、いつか行き止まりになるだろう。ただし、これは僕の個人的な考えだから、自分を押し通し続けて未来を切り開ける強い人間の場合は、それが正解なのだと思う。僕は、弱いし、人と一緒に人生を過ごしていきたい人間だから、ここに書いたような価値観になっている。僕はまだまだ未熟中の未熟だが、お手本の大先輩が近くにいるので、何かを決断する時にはいつも教えて貰ったことを思い出すようにしている。

まだ20代の若い佐藤製作所の社員たちには、やはり技術や知識よりも、人としてどうか、「心構え」が出来ているか、を大切にしてもらいたいと思うし、微力ながらそういう企業文化をしつこく、しつこく指導していきたいと考えている。持論だが、技術はいつからでも、何歳からでも、続けて学ぶ事ができれば身につくと考えている。しかし、人としての「人間性」の部分は、若いうちから地盤を固めていくべきではないか、と思う。というか、僕は一緒に働く人に対して、人としての部分で安心感がないと、一緒に働けない、働きたくない。

「心構え」とか「人として」とか「人間力」とか、フワッとした単語で書いて分かりづらいなと思った、今更だが、もう少しこれらを具体的にいうと

「困っている人がいたら助ける、声をかける」

「人がやらない(やりたがらない)ことをやる」

「挨拶やお礼をちゃんとする」

「辛いことから逃げない(責任を持つ)」

「相手のことを考えて行動ができる」

など、あらゆる社会人一般常識、教養のテキストなどに書かれていることになってしまう。が、つまり、こういうことがほとんどの人は(僕もです)「出来ていない」ということだろう。そして、誰もが知っていて、当たりまえだろそんなこと、と思われるようなことを、ずっとやっている人が、素敵な人生を送れるようになる、ということだと僕は考えている。一般常識?では普通のこと、を普通にやり続ける、ということがいかに難しいか、ということだろう。特に「継続」は難しい。「今日はいいか」「気が乗らないからやめよう」となるか、ならないか。

突然だが、疲れたので、そろそろ終わりにしようと思う。今日書こうと思ったことを最後にまとめると、

遅くまで仕事する事になってしまって

トンカツ屋にたまたま行くことを決めて

両親がたまたまきて

席を一緒にするかと決断した

ことで色々思っても見なかった事が起きたし、考えさせられたし、思い出に残る良い日になったな、という事でした。ただ一つ、後悔しないように、毎日を生きていきたいです。

この記事を書いた人

佐藤 修哉

1986年生まれ
学芸大学で生まれ育ち、鷹番小学校から中学受験で慶応普通部に
慶応義塾大学理工学部電子工学部を卒業後、大学院に進学
卒業後IT企業を経て2014年に祖父が創業した佐藤製作所に入社
若手社員とのコミュニケーションと2人の息子の世話に励む

東京商工会議所 事業承継対策委員
東京都労働産業局女性従業員のキャリアアップコンサルタント
https://www.josei-jinzai.metro.tokyo.lg.jp/program-introduction/instructor-introduction/shuuya-sato/