自己分析

生き字引から技術指導を受けるひとコマ

最近なかなか更新が出来ていないが、その言い訳は沢山でてくる。スプラトゥーン3が発売され、愚息2名が信じられない程毎日暴れまわり体力が常に0で、ファブル呪術廻戦ワンピースキングダムなど漫画が溜まり、仕事の受注も落ち着き安心出来ない日々が続き、そんな中クレームが出たり、これから若手社員と何をチャレンジしていくか考えたり、ベテランには1日でも長く一緒に仕事をしてもらえるよう考えたり、来年入る女性新入社員にどう活躍してもらおうか考えたり、有難いことに新しく色々と声かけして下さる社外の方々への対応を行ったり、んで、結局すぐ頭がつかれるので最後「無」になってTikTokを見て落ちる。

こんなことを言うと、すぐ僕の大切な友人Mに怒られるのが分かる。「いい訳はいいから。でどうすんの?」と言われる。有難い。Mがいなくても、いい訳が出そうになるとすぐ脳内再生されるから有難い。


持つべきものは友である。そう、友は人生において、無くてはならない重要な要素だ。僕にとっては、である。そして重要なのは「友」であり「知人」ではない、ということである(僕にとっては、ですよ)。


ここをきちんと定義して、友との時間を大切にしないと、楽しい人生は送れないのである。「知人」が沢山いる場所がキラキラ見える事があり、「友」との時間よりもキラキラ(幻です)を優先して満足した(自分もキラキラの一員になった錯覚)ような気になってしまうことはないでしょうか。(黒い部分がでてきましたので辞めましょう)


経営者という立場上、仕事の人脈は重要な要素、武器になることは明らかですが、そこにばかり注力して、本当に自分が好きな人との時間、落ち着ける時間、楽しめる時間、を捨ててはいないでしょうか。(・・・もう辞めますね(笑))。何事も「バランス」が大切だなと、強く、感じる今日この頃です。





僕は、仕事を初めてから、すごく真剣にやってきた、と自覚している事がひとつある。それは「自己分析」である。そして今思うことは、「自己分析」をきちんと出来ていると、とてつもなく「良い」ということだ。(単語力がない、馬鹿なのがバレますね)


何が「良い」のかというと、色々あるが、まず「メンタルの安定」かなと思う。要するに、周りに一切影響されなくなる。人が何をしていようと、どんなアピールをしていようと、動揺しなくなる。そして色々と「決めやすく」なる。判断基準が確立されているので、すぐ決まる。理由もすぐに出てくる。などなど、色々と「良い」感じの人生を送れるようになる。

特に、今は、毎日大量の、本当に大量の情報を、必要以上に浴びまくる世の中なので、軸が無いと、毎日あっちいったりこっちいったり、悩んだり悲しんだり、自信を無くしたり落ち込んだり(ネガティブ)、兎に角まわりとの比較を毎日くり返すことになるので、大変だと思う。しんどいと思う。僕はそれがマジで一切ない。虚勢ではない。断言できる。(だからなんだという話です)







この日記と言う名の僕の記録ツールにも過去書いているかもしれないが、とにかく「自分」を「ちゃんと」知るということが何をする上でも必須の、土台の、基礎の、地べたになる、と強く改めて思う。(みんなはとっくにしておりますよね。僕はきちんとそれが出来ていませんでしたので、やっと最近。お恥ずかしいです)

そして、意外とそれを知らない人が多いような気がしている。立場上学生とコミュニケーションを取る機会が多いのだが、かなりの割合で、周りを気にしすぎている。不要な比較をしすぎている気がする。比較対象の情報も正しいのか分からないのに、である。(正しい情報なんてほとんど出てこないものです。)

話を少し戻すが、「友」と「知人」の分別も、僕は自己分析をしてしっかりと分けている。(冷たい人間というわけではないですよ。)なぜなら、僕が「楽しい」「幸せだ」と思うのは、主に「友」といる時だからである。(「知人」をディスっている訳ではないので誤解を生みそうで怖いです。)




時間は有限で、歳を重ねると、皆色々な立場や環境に分かれ、いつ何があるか分からないし、責任も重くなったりならなかったりする。そうなると、本当に限られた時間を、いかに「楽しく」「幸せに」過ごすか、ということが本当に重要だと、僕は考えている。(・・・当たり前だと思う人はすみません。今更ですよね。)繰り返しますが、「自由に使える時間が限られてくる」ということです。だから、必然的に取捨選択をしていかないといけなくなる。

そうすると、「楽しんでいるふり」をしたり「ずっと気をつかって」いたり「心落ち着ける時間を過ごせていない」所にいたりしている自分がいる環境には、いかないように判断するようになる。なぜなら、限られた時間を大切にしたい、と強く思っているからである。そうすると、自分のメンタルや気持ちが穏やかにキープできる。なぜなら、本当に自分が心地よい時間を過ごせているからだ。だから、仕事にも、当然メンタルが良い(健全な)状態でのぞめるようになる。





もう少し説明すると、「大切にしたい」ということの定義は人それぞれだと思うが、僕は、「好きな人と一緒に居る」時間が人生で最も素敵で幸せなことだ、と自己分析して確定させたので、そこが微動だにしないようになってしまった。(逆に、悲しいが知らない所にとびこみまくる機動力・柔軟性が失われた)。


人生の真ん中に「好きな人、居心地の良い人と、時間を共有する」というブットい軸木が生えた。

今までは、「仕事の為」や「お付き合いで」や「呼ばれたから」という理由で、余り気乗りしない(ごめんなさい)所にも沢山足を運ぶようにしていたが(それも数年前までですが)、今はそれがほぼ無くなった。というか、意識的に辞めた。周りに言われても、動かないようになった。(嫌な奴だと思われることも増えたと思う。)一般的に常識的に良いか悪いか、は全く判断基準に無くて、基準になるのはただ一つ、「自分に正直か」だけで判断をしている。(誤解されそう)


ひとつ誤解されそうなので、補足させてください。「自分勝手」ということではないんです。周りに迷惑をかけず、手も抜かず、ということは当たり前の前提で、さらにそこに「自分」という軸を追加している、ということである(なんのこっちゃ)。色々な選択肢がある状況の中で、今までは「仕事だから」とか「今までこうやってたから」とか「常識的には」という判断軸で検討していた(させられていた?)が、それを完全に捨てて「自分はどうしたいか」で判断しているということ(・・・文章で説明無理なのでやめます。)


具体的な例を出してみる。「外回り」を辞めた。それは社内にいる「若手社員」たちとコミュニケーションを取る事の方が僕の中で大切だと思っているからだ。どちらも出来るならやりたい、でも両取りは無理なのだ。町工場の「常識的」に考えると外回りにいけ!となる可能性が高い。でも僕は自分に正直にいる事を選んだ。これは一例だ。こんな感じで、沢山のことを、僕は「辞めて」いる。ハローワークも辞めたし、残業も辞めたし、辞めまくっている。それでも、なんとか回っている。

本文とは関係ない最近の一コマ:高専の先生方と弊社若手で意見交換

誤解をされるのは嫌だが、人から間違って見られてしまうのは自分がそうさせてしまっている、と考えるようにしているのでそれはそれで仕方ない。自分が大切だと思う人に誤解をされて嫌な場合は、誤解を解くだけである。

・・・ただこれは言っておきたい事だが、「乗り気じゃなかったけど意外と行ってみたら楽しかった」という事は世の中多々あるということ。僕もこの実体験を多々している。なので、言ってることが滅茶苦茶だが、時間があるなら「色々なところに行った方がいい」のだ。(コイツ何言ってんの?と思わないでくださいね)特に、若いうちはまだ自由に使える時間が多いので(そんなことない?)色々な経験を積むことは、とてつもなく重要だと強く思う。あくまで、僕はそう思う、ということなので誤解せず。









しかし、人生の環境が変わり、立場が変わり、関わる人が増えていくと、そうもいかない。時間は変わらず24時間しかない中で、やる事、会う人、が増えていくからだ。これが今回言いたい事。(減っていくこともあるし、減らさないと無理なんだけれども。)

僕は今丁度そんなタイミングなので、自分の時間をどこに(誰に)使うか、という事を毎日、毎時間、実は考えている。(毎日、まわりの状況は変化し続けているのでね。)苦渋の決断をする事も、沢山ある。全てがトレードオフで、何かを選んだら、何かを捨てている、ということだからだ。基準は「自分」だ。自分の中に、大切な佐藤製作所の要素も勿論入っている。







そういう意味で、前は人から嫌がられたくないし、仕事も頑張らないと!と鼻息荒かったので(今もですよ)誘われたり言われたら極力やろうとしていた。そして、その経験は今役に立っているので、大切な事だったと思うし、やった自分を褒めたいと思う。しかし、今それをやると、他に大切な色々なものを沢山失う事がよくわかっているので、今その判断を僕は絶対しないようにしている。

その断固たる決意が(秋に映画やりますね)出来るようになったのは、紛れもなく、何年も繰り返し繰り返し行ってきた、「自己分析」の牙城を強固に構築したからに他ならない。(と思ってるだけです)

だから、僕は正直、周りをみて考えや行動がコロコロ変わる事が、今は、無い。それは実は、個人的には超、超、超大事だと思っている。なぜなら、冒頭の方に書いたが、毎日黙っていても求めていなくても、大量の情報の雨嵐が降り注ぐからだ。その1つ1つに影響されていたら、気が狂う。


その点、自己分析が出来ていると、何かするときに、決める時に、判断になるのは、「自分がどう思うか」だけだから、分かり易いし、後悔しない。「周り」に判断基準を1mmも委ねない。間違っていることがあれば、それも自己責任だから、仕方ないと納得ができて、改善が出来る。






仕事も家族も友達も社員も先輩も全部同じ、自分の人生において大切な要素だと、僕は考えている。僕は仕事も人生の一部で、大切な時間を使っている事だから、好きな人と時間を共有したい、と強く思っている。(これはずーっとブレずにこの日記でも主張していますよね。)一方で、プライベートと仕事を分断して、完全に割り切るという考えもそれはそれで良いと思う。


それがその人にとって、居心地が本当に良いと、心から感じているのであれば、だが。しかし、佐藤製作所で仕事をする仲間には、僕は好きな仲間と一緒に協力して仕事が出来る人を求める。そういう会社にしたいと思っているからだ。なぜそこまで思うかと言えば、良好な人間関係、コミュニケーションが無い職場でひどく苦しんだ経験が過去にあるから、強くそう思うようになったのだ。

儲かって給料が高くて有名になって大きい会社になったとしても、各々が孤独であれば僕は幸せではないと本気で考えている(まずそんな凄い会社に出来るような能力が僕一人にはないので皆さん協力お願いいたします。)当然、素晴らしい仲間と一緒に、それを達成するのが、素敵な事だと思っている。







そして家族や友人との時間を犠牲にしてまで、それを達成したい、とも僕は1mmも思っていない。それも自己分析をして築いた牙城なので、何が起きても揺るぎない事になった。周りは一切関係ない、自分の中だけで導き出した答えなので、全くブレないものだ。(会社や仕事をおろそかにする、ということではないですよ!当然、最重要項目です)

その為に、あらゆる事をしている最中に、常に優先度や重要度を考える癖がついて、必要ではない事を辞める力も付いた。「断る」事は勇気がいることだが、それを恐れて流されてしまうと、自己分析で見つけた自分の大切な事を失う、捨てる、ことになるので、そう考えると断れるようになる。正直に言えばいいのだ。無理はよくない。自分を偽っていると疲れるだけだ。そんな疲弊した状態で、良い仕事ができる訳がない、というのが僕の持論だ。だからみんな、本当に好きなことをしましょう。







自己分析はもっともっと深いもので、色々な要素があるのでこの記事だけでは到底説明は出来ない。しかも、色々な状況を経験し、その場面場面で真剣に自分に向き合い、長年をかけて構築しないと、松本城のような最強の城はできない、と僕は勝手に思っている。

入社希望の学生と話をする時は、僕はここを結構見たりしている。重要なことは「周りはどうでもいい」ということだ。主語は全て「自分」か?ということ。親も友達も先輩もSNSもインフルエンサーも誰も関係ない、気にする意味がない、と僕は真剣に思っている(危険な思想か?(笑))極論、無視した方がいいと思ってるくらいだ。(感謝とか尊敬はしてくださいね)

そして、偉そうなことを言ってしまい、怒られそうだが、「法人」においてきちんと自己分析が出来ている会社が少ないような気がしている。個人も法人も同じで、自己分析が出来ていないと・・・色々と大変だと思っている。(書くの疲れてきました)





そろそろ疲れてきたので、雑に終わらせようと思う。

うちの会社の若手などにはちょこちょこ伝えたり、伝えなかったりしているが、物事の本質をちゃんと見極められるようになってほしいと思う。世の中に出てくる目を引くキラキラした情報やデータばかりを鵜呑みにせず、自分が何をしている時が本当に楽しいか、嬉しいか、をよーーーく理解した方が良い。

僕の中では「時間」は人生において何事にも代えられない貴重な、誰もが平等に持っているモノで、それを最大限有効に使える人が、僕は人生を幸せに生きている人、だと本気で思っている。最大限有効に使う為には、周りではなく「自分」を知らないと出来ない。有効に使う、というのは幸せを感じられることに使う、ということだ。

安保か!金だわ!いいねの数だわ!フォロワー数だわ!名声だわ!という人も全くもって否定しないし、それはそれで正しいと思う。ただし、本気でそれが大切だと自分が思っていれば、である。(そんなひといるかな?)




しかし佐藤製作所で仕事をする仲間となると、それだと合わないのですが(笑)。(いつも記事内で書いてる気がしますが、お金はどうでもいい、ということではないのでそこは誤解しないように。稼げる会社に、皆でしていきましょう。)

この記事を書いた人

佐藤 修哉

1986年生まれ
学芸大学で生まれ育ち、鷹番小学校から中学受験で慶応普通部に
慶応義塾大学理工学部電子工学部を卒業後、大学院に進学
卒業後IT企業を経て2014年に祖父が創業した佐藤製作所に入社
若手社員とのコミュニケーションと2人の息子の世話に励む

東京商工会議所 事業承継対策委員
東京都労働産業局女性従業員のキャリアアップコンサルタント
https://www.josei-jinzai.metro.tokyo.lg.jp/program-introduction/instructor-introduction/shuuya-sato/