親と仕事することの宿命




とは、「喜びよりも悲しみの方が多い」、というのが8年間やってきて僕がいま感じることだ。








この記事は僕と同じ立場の人限定、いや例え同じ立場の人でも理解できるか分からない内容になると思います。
今日起きたことで僕が感じた嘘無しの心からの想いを、自分の記録として残しておかないといけないと思って書きました。

はっきりと断定しておきたいことは、愚痴や文句ではないということです。(あくまで僕にとっては)
しかし、そう捉えられて不快に想う方もいるかもしれません、すみません。

僕が何と言おうと、相手がそう捉えるのであればそれが正解になることは理解しています。
なので愚痴や文句の垂れ流し、という不快な内容だ、という可能性もあります。

愚痴や文句ではないなら何なんだ?
うーむ、今現在の自分ではどうしようもできない答えの出せない、底のない深い悩みという表現、に近いかもしれません。

最初に「今日起きたこと」と「僕が感じた(感じている)こと」と「今の時点での自分の反省点と以後の行動」をまとめます。

もし見て下さっている方がいれば、この記事は何も得る事も感じることも無いかと思いますすみません、あくまでも自分の記録として。




「今日おきたこと」


会社の経営相談をしている先生の方を交えて、毎月定例の打ち合わせをしていた。
出席者は僕(常務)、母親(経理)、先生、の3名だ。

今回の記事は、あえて、僕、母親、と書く事にする。

1時間半ほど母親の相談に対して先生が回答する、という流れで話が進んでいた。
内容は省くが、あるタイミングで僕の不満が噴出してしまい、先生の前で母親と口論になってしまった。
結構な口論になってしまい、僕も相当きつく当たってしまったと思う。

母親が「先生はどう思いますか?」と聞いた。
先生は明らかに困った表情をしていたが、頑張って回答をしてくれた。

「客観的にみると・・・修哉さんの言ってることが正しいように・・見えますが・・」
と、歯切れ悪く話は続き、鋭い指摘などもあり、結局母親が改めた方がいいかもしれない、という結論になった。

~中略~

そして、母親の力が無くなり、黙りこんでしまった。
僕は顔を見る事も出来ない状態で、母親が「わかりました」といった。

丁度先生のお茶が無くなったので、「入れ替えてきます」と母親が言って外に出た。
出た後に、先生が「修哉さん、ちょっとお互い言い過ぎたかもしれない、、少し泣いていたようにみえた、、」
と僕に言った。

「後で2人で話をしておいたほうがいいよ」
「僕も後でお母さんと個別で話をしてから帰るようにする」

暫くして母親が戻ってきて、僕の分のコーヒーも持ってきてくれた。
その後打ち合わせは続いたが、母親はほとんど喋らなくなった。確かに声が少し震えていた気がした。





「僕が感じたこと」



60も過ぎた母親を泣かせてしまった事に対して後悔と反省の気持しかない。

お互い悪いことをしているわけでもないし、会社の為にどうすれば良いかを考えているだけなのに、その考えが異なるだけで、家族で喧嘩し合うことがこれまで多く、その都度本当に大きな悲しみしか感じない。
会社を良くしていく為には、こんなに辛い悲しみを乗り越えていかないといけないのか、それ以外の方法はないのか。8年間やってきた現時点では、「ない」。

仕事での価値観の違いとはいえ、もっとうまく進める方法は無かったのかと、8年間毎日考えるが、「ない」。
今回は母親とそうなってしまったが、これまでも数多く、父親(社長)、叔父(専務)と同じようなことを繰り返してきた。

前のブログにも書いたかもしれないが、僕が事務所の壁を激しく蹴飛ばして会社を飛び出て母親に「辞める!」と宣言したことなどもあった。そんな話は沢山ある。
そのたびに、「会社を良くする為にやっていることで、全員が怒ったり悲しむのであれば、やる必要はないのではないか」
「喜びより悲しみの方が圧倒的に多く、忌み嫌われるだけなのであれば、やめたほうがいいのではないか」と毎日自問自答してきた。

誰かを悲しい気持ちや辛い気持ちにさせてまで、会社を良くする必要がどこにあるのか。と毎日思っている。今もだ。
でも、正しい状況では無い会社であれば、痛みを伴った改善をする以外、生き残る方法はない、とも思っている。(そしてそれに終わりはない、と今は思っている)

それでも、「絶対に会社を良くしたい、良くするんだ」、「会社が良くなれば、みんな最後は喜んでくれる」、と思ってやってきて、微力ながら少し改善されきているのかもしれないが、
また今日の母親を見て久しぶりにガクンと来てしまった。

一時的にでも、お世話になっているし好きな相手なのに、父親や母親、叔父や大叔父などと口論して、こうやって相手にダメージを与えながら、少しずつ会社を改善させていくのは、本当に辛い。
そして会社が改善されていたとしても、また次の改善が必ずやってくる。そしてそこに手を打たなければならないのが僕の立場であり役割であることも分かっている。

甘い、みんなそうだ、それくらい普通だ、それでも十分恵まれている、という色々な意見があり、全てを否定せず真摯に受け止めて、前に進むつもりだが、辛いものは辛い。どうしようもない。

僕はそういう点ですごく不器用だと先生方や先輩方に言われている、だからそれも理解している。笑って「頑張ります!」「助けてください!」と元気に言えばいいんだと言われる。アホになれ、馬鹿になれと言われる。
でも親や親族の前でそれは難しい。本当の気持ちや状況や環境は、当の本人にしか分からない。そういった経験から、僕も、他の人に対しては、余り無責任な事は言わないようにしている。

まわりはいくらでも何でも言える、でも本当のことは自分しか分からない、まわりは理解してくれようと親身になって言ってくれる。(アドバイスを下さる、という点で本当に感謝しています)
それを踏まえて、人のアドバイスは感謝して聞くべきである一方、悩んでる人に対しては余り無責任な事を言わない方がいい、とも強く思う。

まわりが何と言おうと、自分が心の底で感じていることが真実であり正解だ。そこを捨てちゃダメだし、無理に理解してもらおうとしてもダメだし、分かってくれと期待することもダメだ。
そういう意味で自分にだけはいつも正直でいよう。悩んでる人に安易で無責任な発言をするのはやめよう。

「経理担当」と「母親」を分別して会話を進めていくのは、やはり「無理」だ。
おそらくだが、母親にとっても「常務」と「修哉」を分別して会話を進めるのは無理だと思う。
これからも、同じような事を繰り返すのであれば、暫く経営に携わることから降りようかとも本当に思うくらい、親と戦うのは辛く悲しい。
しかしそれをやらないといけない、それが僕の考える「親と仕事することの宿命」だ。

大きく注意しておくが、これはあくまで「僕の話」で、「佐藤製作所の話」である。
仲間の後継者達とも色々話したりするが、親とうまくやっている人も多いし、バトルをしていても割とあっさりしているところも多い。
もしかしたら、佐藤製作所はあまりにも僕が親族と食い違うことが多すぎるのかもしれない。補足しておくが、仲が悪いということではない。考えが合わない事が多いのだ。仲が悪くないからこそ、辛いのだ。

こんな経験もあって、身内以外の役員の必要性も感じているが、それはまた別の時に。
結論としては、何もないが、ただ「辛い」「申し訳ないことをした」という感情しかない。





「今の時点での自分の反省点と以後の行動」


最もマズイ点は、やはり僕が「母親」としか見られていないことだろう。しかし、これに対しての打開策は8年かけて見つからないので「無い」。
だから、「母親」のままの状態でよいから、敬意と感謝の気持を僕が常に忘れずに持ち、感情的にならない議論を出来るようにならないとダメだろう。

そして、少しずつまた会話をしていき、どこかで一言「この前はすみませんでした」と言わなければいけない。
悲しみに暮れて、元気のない親を見るのは、とても辛い。そしてその原因を作ったのが自分であるなら尚更だ。

母親は、「経理」という役割であっても、どうしようもないが「母親」にしか見れない。(書いていて激しいマザコンのように感じる、客観的に見たら気持ち悪いのだろう)
そして、これからも一緒に「仕事」をし「協力」してもらい、「プライベート」でも行動を共にする。という事実は変えられないし変えるつもりもない、ということだ。

それは父親である社長、叔父である専務、も同じだ。それが「親と仕事することの宿命」だ。

しかしその宿命の中で、僕が絶対に忘れてはいけないことがある。ここがとってもとってもとっても重要だ。
それは、親族以外にも「死ぬほど大切な仲間がいる」ということだ。ここまで身内の事ばかりを書いた、身内だけの話だ。(というか母と子)まさに内輪だ。あっそ、勝手にやってればって感じだ。

身内も当然大事だが、今僕は「佐藤家」中心の組織から脱皮して、「組織」として新しい未来を目指していこうとしている。

僕は、特に特に特にここに強い気持ちを入れている。インターンシップや新卒採用を始めたのも自分だ。若手の社会人人生を全て僕が引き受ける覚悟だ。沢山のメンバーが信頼して仲間になってくれた。感謝の気持しかない。大きな責任がある。
佐藤製作所は名前通り、「佐藤」が作った会社だ。65年間ものあいだ事業を営んでいる。先人には頭が上がらない、感謝の気持しかない。先人がいなければ今の自分は無い。自分はただ受け継いだだけで何もしていない。

しかし、これからは佐藤以外の仲間と共に、新しい佐藤製作所を作っていきたいと、強く思っている。
親族経営の良し悪しの議論をするつもりも無いし、そもそも世の中の全ての事象は表裏一体で、良い所と悪い所があると思っている。

僕は、佐藤の看板を守り、継承することは当然としながら、「組織」として「新たな素敵な仲間」と「楽しい人生」を作っていきたいと思っている。
「仕事」ではあるが、それは「人生」そのものだ。気の合う素敵で楽しい仲間と過ごす時間の充実が、「幸せな人生」に直結すると思っている。

丁度、今僕は、というか今の佐藤製作所は、その過渡期にいると俯瞰してみている。
どちらが良いとか、悪いとか、そんなものは無い。分からない。答えは自分の中にしかない、「自分がどうしたいか」、が唯一の答えだ。




「さいごに」


乱文になって、支離滅裂になって、全くもって質の低いブログになってしまったと思っている。(質の高いブログを書いた記憶は無い)
まあ、良いとも思っている。僕が自分の為に書いたものだし、出来れば母親に読んでもらいたいと思う。自分から面と向かっては言えないからだ。

すごく気持ち悪いし、後で見返したら消すかもしれないが、嘘無しの自分の考えを記録しておくことは重要だと思っている。

恵まれている立場でいることは重々理解しているし、くだらない甘っちょろいマザコン記事を書いたことも自負している。
が、どんな環境だろうと、その人にしか分からない辛いこと、悲しいこと、苦しいことがある、そしてそれはその人にしか分からない。
というのは、僕が自分に伝えたいことでもあるし、かいていて2人の息子には伝えたいことだなとも思った。

↓好きな写真、昔の社員旅行
今の時代には社員旅行が受け入れられないことは理解しているけど、いつか行けたらいいなと思っています。僕は

この記事を書いた人

佐藤 修哉

1986年生まれ
学芸大学で生まれ育ち、鷹番小学校から中学受験で慶応普通部に
慶応義塾大学理工学部電子工学部を卒業後、大学院に進学
卒業後IT企業を経て2014年に祖父が創業した佐藤製作所に入社
若手社員とのコミュニケーションと2人の息子の世話に励む

東京商工会議所 事業承継対策委員
東京都労働産業局女性従業員のキャリアアップコンサルタント
https://www.josei-jinzai.metro.tokyo.lg.jp/program-introduction/instructor-introduction/shuuya-sato/